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我が闘争 [読書]

我が闘争と言っても、有名なあの本ではない。
ホリエモンこと、堀江貴文の自叙伝である。
ライブドア事件が起こったのは2005年、僕が社会に出てすぐの頃である。
色々な面で別世界の人だと思っていた。僕自身も世間と同じで(世間がそうだからと、自分の言い訳にしていただけかもしれない)、真面目にせっせと苦労して年功序列の中で一つ一つ階段を上っていくことが、普通だと思っていた。そんな僕にとっては、まさに東京大学という高学歴の別世界の人が、まったく不真面目に登り詰めていく過程のように感じていた。
それは最近まで、変わらない思いだった。何せ刑務所にまで入ったのだから。

ところが、この頃、自分の近くでホリエモンの偉大さを熱く語る友人が現れたのである。
最初は、それでどうした?またまた、何を言ってるの。と言うくらいのつもりで聞いていた。
それでも、会うたびにそんなことを話してくる。
それじゃあ、ちょっと著書でも読んでみましょうか、と思って手に取ったのが「我が闘争」であった。

この本は、堀江貴文の幼少期からの自分史が書かれている。
読んでいると意外と面白い。そしてどこの子どもも同じだなぁと思えて、少しずつ共感すら沸いてくる。
書名にあるように、すべての人が自分自身と向き合いながら、その時々に悩みながら闘争しているのだと思う。この本から読み取るに、彼はいい人である。若者はすぐに調子に乗る。それが若者で、ちゃんと調子に乗って、祭り上げられたら、見えない地下では、それを食い物にしようとする輩がいた。
そして、世の中は常に妬みの宝庫で、僕がそう思っていたように、相対的な基準で上下をつけて、優越感に浸ったり、悲観的になったりする。東大生ということに、壁を作っているのは、周りにいる人たちなんだと思う。

ホリエモンの周りで起こったことを、ホリエモンの視点から書かれているわけだから、その出来事を他の人から見たときには見え方が違うのは、仕方のないことである。でも、そうやって見えていたのか、ということが分かることで親近感は沸く。これで、友人からのホリエモン話も素直に聞けるようになった気がする。

時代の少し先を行く人は、リーダーと呼ばれてもてはやされる。でも、だいぶ先に行く人は受け入れられない。それがホリエモンだったのかもしれない。でも、社員評価の方法やITの進化はホリエモンの想像したように変化している。時代がやっと追いついてきたのだ。

自分が40歳になった。老害といわれないように、柔軟でありたいと思う。
新しいことにチャレンジしたいと思う。

ホリエモンが何歳になっても未来を変えようとしているように・・・。










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