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どのような教育が「よい」教育か [読書]

哲学者というのはどうしてこうも読みにくい・・・いや、読んでいても文字列が頭を通過するだけの文章を書くのか・・・。
その答えは、それに読み手が興味が無いからである。
読んでみて思うのは、哲学は足がかりを必要とする。その足がかりが文字列に感じられて仕方ない。そして、読んでみて結果的に自分自身が考える足がかりに、本全体がなる。
文字の羅列だと思っていたものが、ある部分で文章になり、問いになり、答えを導くためのヒントとなる。そういう部分は自分が求めていたことである。その求めていたことが書かれるまでの足がかりが、とてつもなく読んでいてある意味、苦痛である。
結局それはまだ表面上しか読めていない自分に問題があるのだろうし、読み手が情報選択をしている自然な現象なのかもしれない。
論証のための方法を探してこの書を手に取ったのならば、今回は頭を通過するだけだった内容が光りだすのかもしれない。結局、チャンスの神様のことを自分が意識しなければ近くに居ても気づかないのと同じことだと思う。
さて、苫野一徳さんの本はこれで二冊目であるが、この本でも「自由の相互承認」がよい教育の目的であることと、そのために必要な学力の内的構造「知識と学び方」と「ルールへの姿勢」について書かれている。特に興味を持って読めたのは「よい教育」をする「よい教師」についてである。「信頼と忍耐」が時代を超えた教育の資質であり、教師にとっての重要な資質であるということだ。
また、多くの教育問題は二者択一の問題設定による問題の問題が指摘されていた。ここでも苫野は「公共の福祉」を目指したどちらが良いかではなく、有効性のある目的に応じた変わりうる教育方法である。
確かに、多くの問題はどちらが良いか?と問われるが、実際にはどちらも良いしどちらも課題がある。そこを踏まえたうえで、今この現状においてどちらが有効かを考えなければならない。

なんだか眠いのを耐えながら読みきったが、夢の中で、教育への夢を見ていたようにも感じる。






どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

  • 作者: 苫野 一徳
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/08/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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