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責任という虚構 [読書]

美人が美しいわけではなく、美しいと社会の中で認められた人が美人と呼ばれる。

ナチスドイツの歴史的な犯罪と言われるホロコースト。そこに加担したほとんどの人は嫌悪感を持ちながら流れ作業として行ってきた。それの工程をすべて一人の人がやるとすれば起こらなかったのかもしれない。私たちは組織化することでその責任を分担し無責任に変える。まさに官僚政治の在り方なのかもしれない。
私の所属する組織もそうである。トップは判断しない、方向性も決めない。話し合わせ意見を進めてうまくいけば良しとするが、失敗してもだれも責任は取らない。脳無しトップの賢い運営である。ただ、組織はますます腐っていく。
責任とは何か…自分の周りを見て、責任とはどのように発生し、だれが取るのかを考えた。そしてこの本を手にした。すべては虚構の中にある。根本的な善悪もなければ、責任など存在しない。人は先のことを考えた上で行動するようにはできていない。結局、目の前のプライドや比較される同程度の仲間との関係を優先し、行動する。そして、あたかも論理に沿って行動したかのような言い訳をつくる。行動した結果を後から分析して理由を考える。

この本の表すところはとても厳しい。善とは何か、悪とは何か、道徳とは何か、ルールとは何か、責任とはどういうものなのか…。印象的な一文は「犯罪は多様性の同義語である」。違いはある。違いがあえれば、行動様式も違う。そしてその違いが所属するルールから外れた時犯罪となる。

歴史は法則的に起こらず、起こったことを法則として解釈して歴史となる。

なんだか、何がスタートでゴールなのか全くわからない。しかし、読んでいてすごく納得できる。正しいと思っていた枠組みが実際は歪んでいる。それこそが社会である。

「批判されて行動すれば、行動したことを批判する。」まさに、現在のマスコミ報道と同じである。個人と社会は同じではない。個人の行動が社会的な価値観になるわけではない。しかし、個人に変化を起こす力がある。なんとも矛盾しながらどちらが前かわからなくなって進んでいく議論である。

久しぶりに読んでいて、納得しながら深みにはまっていった。とても読みやすい本だった。





増補 責任という虚構 (ちくま学芸文庫)

増補 責任という虚構 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 敏晶, 小坂井
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 文庫



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